岸田國士
底本:「岸田國士全集5」岩波書店
1991(平成3)年1月9日発行
底本の親本:「浅間山」白水社
1932(昭和7)年4月20日発行
初出:「改造 第十三巻第七号」
1931(昭和6)年7月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
岸田國士
とね (やゝあつて)二葉さん、お汁粉をこさへたけれど、あがらない?
二葉 さうね、今いたゞきたくないわ。
とね (はひつて来て)手紙が来たの?
二葉 (黙つてうなづく)
とね いゝお便り……?
二葉 (口を尖らしてみせる)
とね 手紙に書いてあることなんか、いちいち気にしちや駄目よ。会へばなんでもないことなんだから……。(間)それぢや、あんたの分はとつとくから、あとでおあがんなさいね、欲しいとき……。
二葉 えゝ、ありがたう。
とねの姿が奥に消えてから、二葉は手紙を懐にしまふ。
突然、外から、「二葉さん、また来たわよ」といふ女の声。
二葉、窓の外を見る。
やがて、扉が開いて、時田則子(二十八)が汗を拭きながらはひつて来る。
則子 近道をしようと思つたら、ひどい目にあつたわ。沢の中へ足を踏み込んで、こら、草履が台なしよ、このまゝでいゝか知ら……。
二葉 さうね。
則子 いゝわよ、どうせ泥靴のまんま上るところぢやないの。ちよつと、遠慮してみたゞけよ。それはさうと、お手紙が来たでせう。
二葉 えゝ。
則子 配達にさう云つといたのよ、こつちへイの一番に廻るやうにつて……。何時もより早かつたでせう。(間)あなたが待つてらつしやる手紙、あたしにちやんとわかるのよ。
二葉 感心ね。
則子 郵便局をやつてるから云ふわけぢやないけど、あたし、筆無精ぐらゐ癪にさわるもんないわ。青木利元さんも筆無精ね。
二葉 その話なら、もうよして頂戴よ。
則子 だつて、あたしも、手紙が来ないつていふことぢや、あなたとおんなじ苦労をしたことがあるのよ。
奥から、蓄音機の感傷的な曲が聞えて来る。多分、新井がかけてゐるのだらう。
則子 それが、ちよつと説明しないとわからないのよ。あたしの夫つていふのは、お話したかも知れないけど、ある製薬会社に勤めてゐた人なの、よくつて……。そこで、いよいよ赤ん坊ができたわけよ……。(間)すると、あたしにかういふの――自分の手許で産をさせるのは気がかりだから、一旦国へ帰つて、産をすましてから出て来いつて……。さういふもんだから。あたし、そのつもりで、こつちへ帰つて来たの。ところが、お産までは、一週に一度ぐらゐ手紙をくれたか知ら……。それつきり、あとは、ぷつつり便りが来ないの。どんな気持がしたでせう、そん時は……。あたしも、今のあなたとおんなじに、二日に一度づつ手紙を書いたわ。さうなると、もう、自棄(やけ)ね。おんなじことを、何度も何度も……。それが、一と月目に、やつと手応へがあつたと思つたら、こつちの手紙に符箋がついて戻つて来たの。おきまりの居所不明よ。泣きたかつたわ。
二葉 ……。
則子 それから、大急ぎで、東京にゐる友達に頼んで、会社の方を調べてもらつたの――会社へ手紙を出すことは止められてゐたんですもの。さうしたら、会社には、ちやんと出てるんですつて……。
二葉 (だんだんその話に聴き入つて来る)
則子 さうなると、あの父が承知しないわ。あたしが止めるのも聴かず、独りでのこのこ東京へ出掛けてつたものよ。会つてからの云ひ草が図々しいぢやないの。――「僕も、妻子の手前、さう何時までもかゝり合つてはをられませんから……」ですつて……。
二葉 え! 妻子の手前つて……?
則子 (なにくはぬ顔で)妻子つて云へば、つまり、あたしたちのことだわね。それに、さういふんですつて……。それや、薄々は……。でも、そんなこと、今更……。どつちにしたつて……兎に角、問題は……。結局、向うの……つまり、こつちの……。あゝ、なんだか、わからなくなつちやつた……。
二葉 (がつかりしたやうに)いゝわよ、もうなんにも聞かなくつたつて……。
則子 蓄音機かけてるの、新井さんか知ら……。
二葉 さうでせう。
則子 あたしも、かけて来てよくつて……あれが聴きたいのよ、そら……この前、好きだつて云つた……。(さう云ひながら、奥にはひる)
二葉は、そのまゝ、卓子の上に突つ俯してしまふ。
とねが奥から顔を出し、この様子をみてゐる。
とね (やがて)どうしたの、二葉さん。
二葉 ……。
とね あたしに云へないこと?
二葉 ……。
とね あたし、だんだん、あんたのお母さんみたいな気がして来るのよ。可笑しいでせう。でも、ほんとなんだもの。大きな赤ん坊だ、これや……(二葉の肩へ手をかける)
二葉 (肩をゆすぶり)ほうつといて頂戴よ、なんでもないんだから……。
とね 駄々をこねてるわ。
二葉 いゝのよ、なんだつて……。あたし、一人で、少し考へたいことがあるのよ。あつちへ行つて、頂戴……。
とね そんなら、仕方がない……。このおつ母さんは落第だ……。
諦めて、彼女は、奥へはひらうとする。が、この時、二葉は、急に背中を波うたせて、啜り泣きはじめる。
途端に、左手から、州太がはひつて来る。