岸田國士
底本:「岸田國士全集5」岩波書店
1991(平成3)年1月9日発行
底本の親本:「浅間山」白水社
1932(昭和7)年4月20日発行
初出:「改造 第十三巻第七号」
1931(昭和6)年7月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
岸田國士
州太 (この様子を見て)なにをしてるんだ。お前たちは……。つまらん真似をするんぢやない。
とね (心外らしく)あら、そんなことぢやないんですよ。
州太 もういゝ。今日はどういふ日だと思つてる? 土地が始めて売れた日だ。みんなで、祝ひをせえ、祝ひを……。
二葉 (袖で顔を覆ひながら、奥へ走り去らうとする)
州太 待ちなさい、二葉。何処へ行くんだ。
二葉 (州太に背を向けたまゝ立ち去る)
州太 (とねに)おい、麦酒を持つて来い。
とね、奥にはひる。
州太 二葉、そんなことしてないで、こつちを向いて御覧。袖を下へおろしなさい。わしの顔をみて……。お前には、物の道理がわかつてる筈だ。あんな女、何を云つたつて放つとけ。(さう云ひながら、卓子の上の郵便物に一と通り眼を通す)
遠くで雷の音。
州太 此処へ来て坐りなさい。どうだ、山もそろそろ飽きて来たらう。少し涼しくなつたら、何処かの温泉へ行かう。お前が退屈してるのを見ると、わしは気が気ぢやない。たまには、軽井沢の町へでも遊びに行つて来るといゝ。
二葉 ……。
州太 近頃は、この通り忙しいんで、ゆつくりお前の相手にもなつてをれんが、なにか面白くないことでもあるんぢやないか。
とねが、麦酒を持つて来る。
とね (麦酒を注ぎながら)二葉さんも、一杯いかゞ?
二葉 (首をふる)
州太 (とねに)お前も一つやれ。おれが仲直りをさせてやる。一体、何を喧嘩したんだ。おれの留守に……。
とね いやだ、喧嘩なんかしやしませんよ。ねえ、二葉さん、あたしは、そんなつもりぢやないんですよ。たゞ、この人が、あんまり沈んでるやうだから、なにかわけがあるんぢやないかと思つて、訊いてあげたゞけなんですよ。
州太 さうか、二葉。
二葉 さういふ時、あたし、いろんなこと訊かれるの厭やなんですもの……。
とね だつて、あんた……。
州太 訊いてくれるなと云ふんなら、訊かずにおかうぢやないか。注げ。この奴さんも案外苦労性で、人のことつていふと躍起になるんだ。(二葉に)お前もまた、それくらゐのことで、泣かんでもいゝぢやないか。それとも、泣きたいほど悲しいことがあるのか。そんなことは、ありやせん。つまらんことを考へるひまに、わしの事業を見ろ、事業を……。七月この方、土地を見に来るものが、毎日平均三人……。これは素晴しい数字だ。その場で契約はできなくつてもいゝ。来年の夏までに、少くとも、このうちの二割は、申込んで来るとみて差支へない。そのほか、土地の条件だけ気に入れば、実際は見なくつても買つて置かうといふものもある。現に、今日手金を打つて行つた夫婦連れの紳士は、是非親戚や友人にも勧めてみると云つてゐた。この調子で行くと、事務所もこれぢや人手が足らんかも知れんぞ。(とねに)新井を此処へ呼んで来い。いゝ年をして唱歌ばかり歌つとる。
とね、奥へはひる。
州太 何が悲しいんだか、早く云つて御覧。東京から便りでもないのか。
二葉 今日、久し振りで手紙が来たの。
州太 そんならいゝぢやないか。嬉しくつて泣いたのか。
二葉 まさか……。あたし、一度、東京へ行つて来たいの、そのことで……。
州太 行きたけれや、行つて来るさ。急ぐのか。
二葉 えゝ、明日にでも……。
新井がはひつてくる。
州太 駅に待つてるつていふお客さんは、どうした。
新井 今、自動車が迎ひに行つてます……。案内は、先生がなさるんですか。
州太 どんな人だ。
新井 まだ二十六七ぐらゐの、若い男の人です。
州太 二十六七……三十六七だらう。
新井 いゝえ。だから僕、少し変だと思つたんですけれど、土地を御覧になりますかつて訊いたら、あゝ土地も土地だけど、それより先に、丹羽さんの事務所へ案内してくれつて云ふんです。
とねが、麦酒の代りをもつて出て来る。その後から、則子が続いて現れる。
州太 やあ、あんたも来てたのか。そいつあ賑やかでいゝ。さあ、お祝ひだ、一杯どうです。
則子 なんのお祝ひでせう。
とね さあ、なんかの前祝ひでせう。注ぎますよ……。(注ぐ)
州太 だが、実に愉快だ。誰にも想像がつかんだらう。このわしの頭の中は……。(則子に)あんたのお父さんなんか、眼前のことばかりしか見えんが、ちつとさう云つておやんなさい。人間は、自分のことを第一に考へちやいかんつて……。わしは、第一に、娘のことを考へてる。第二には、世の中のこと……。それから、第三に、自分だ……。
則子 それで、奥さんのことは……?
とね 第四よ。
州太 いゝや、それが間違つてる。二葉に訊いて御覧。こいつは、なんでも知つてゐるから……。おい、新井、なぜ、そんなところで黙つてるんだ。お前は、おれの片腕だ。もつと飲め。
新井 もう結構です。
州太 馬鹿云ふな。そんな風だから、人夫共に勝手な真似をされるんだ。
とね 余計なこと、およしなさいよ。
州太 今のは戯談だ。新井某は、これで豪傑だよ。足の裏へ釘をさしたま、平気で歩いて御座る。