岸田國士
底本:「岸田國士全集5」岩波書店
1991(平成3)年1月9日発行
底本の親本:「浅間山」白水社
1932(昭和7)年4月20日発行
初出:「改造 第十三巻第七号」
1931(昭和6)年7月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
岸田國士
表に、自動車の音。
新井が、表へ飛び出す。
やがて、彼は、一人の青年を案内して、戸口に現れる。
二葉 (その青年を見るなり、悶絶せんばかりに驚き)あら……どうして……?
青年は、鷹揚に帽子を脱ぎ、一同に会釈して部屋の中にはひる。二葉の婚約者、青木利元(二十七)である。
青木 (誰に云ふともなく)突然お邪魔して、どうかとも思ひましたが、急に是非(二葉の方を向き)お目にかゝつてお話したいことがあつたもんですから……。
州太 (それと察して二葉に)この方が、なにか……。
青木 始めまして……。僕、青木です。
州太 あゝさうですか。わたし、二葉の父です。
とね それぢや、(二葉に)あんたのお部屋がいゝでせう。ちよつと掃き出して来ますわ……。
とね奥に引つ込む
州太 よくおいで下すつた。あちらでは、また、二葉がいろいろ……。
青木 いゝえ……。前以て電報でもと思つたんですが、その暇に来てしまへるやうな気がして……。割合、便利なとこですね。
州太 いや、今年はまだ……。これでも来年は余程活気を呈するでせう。二葉とも話したことですが……。
二葉 それぢや、お父さん、あちらで……。
州太 うん、わしも、後から行く。
二葉 (青木に)どうぞ……。
彼女は、首をうなだれたまゝ、先に立つて、青木を奥へ案内する。
新井 なんだ、さうだつたのか。
則子 あたし、一と目みて、さうだらうと思つたわ。
州太 (満足げに)やあ、わしも気がつかなんだ。さうか。さういふわけか。(新井に)すると、お前は別に用はないから、もう一度駅まで行つて、何か珍しさうな鑵詰を、三つ四つ頼んで来い。それから鶏を一羽とな。序に則子さんを送つて行つてあげろ……。自動車を使つてもいゝから……。
則子 ありがたいツと……。ぢや、さよなら……みなさんによろしく……。
則子と新井とが出て行くと、州太は、独りで室内を歩きまはる。
長い間――
やがて、とねが、跫音を忍んで現れ、州太の耳もとへ口を寄せ、何か囁く。
州太 なに? そんなことはわかりやせんよ。第一、他人(ひと)の話を盗聴きなんかするな。
とね (また、なにか囁く)
州太 そこがいゝとこぢやないか。几帳面な間柄つていふものは、久振りで会つたからつて、さう馴れ馴れしくはせんよ。
とね いくらなんでも、それや無愛想な口の利き方ですよ。二葉さんは、もう、半分泣いてるやうでしたわ。
州太 いゝから、あつちへ行つて、飯の支度でもしろ。今、新井を駅へやつたが、今夜の間には合ふまい。鶏ぐらゐ、手にはひるかも知れん。
とね ほんとに、いゝんですか。若いもの同志ですから、どんなことで……。
彼女はまた、跫音を忍んで、奥へ去る。
州太は、その後から、これも抜足差足で戸口に近づく。
州太 (声を潜めて)おい、おとね、もう一度、様子を見て来い。なにか、変つたことがあつたら、さう云へ。
さう云ひ終つて、彼は、戸口に佇んでゐる。
長い間――
やがて、また、とねの姿が現れる。
とね (低い声で)詳しい話は、よくわからないんですけどね、なんでも、二葉さんが、あの人に隠してたことがあるらしいんですよ。
州太 隠してたこと? なんだ、それや……。
とね (制して)駄目ですよ、大きな声をしちや……。二葉さんの方の云ふことがよく聞えないんですよ。男の方ぢや、かう云ふんです。――「それぢや、あなたは、さういふ事実を認めるんだね」つて……。
州太 それで、二葉の返事は……。
とね 黙つてるらしいんです。
州太 事実……どんな事実だらう……。あいつに罪があることかどうか……。
とね やつぱり、男との関係ぢやないんですか。
州太 そんなことが、どうしてわかる。
とね だつて、さういふ事実つていふからには……。それに、ほかのことなら、あんなに二葉さんを責めるわけはないぢやありませんか。
州太 そんなに責めてるか。
とね 可愛想なくらゐですよ。
州太 よし、わしが行つてやる。
とね およしなさい。それこそ見つともないから……。
州太 立ち聴きをするんぢやない。わしから話しをしてやるんだ。
とね 今は無駄ですよ。云ふだけのことを云はしてからの方がいゝでせう。こつちには事情もなにもわかつてないんですもの。なまじつか、あんたなんかゞ口を出すと、変にこぢれちまふわ。待つてらつしやい。もう少し、様子をみてみるから……。